2018.09.26(水)—12.17(月)
オルセー美術館特別企画 ピエール・ボナール展
国立新美術館/港区・六本木

ピエール・ボナール《白い猫》1894年 油彩、厚紙 オルセー美術館 ©RMN-Grand Palais (musée d’Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF

オルセー美術館のコレクション中心に、ピエール・ボナール作品約130点が大集結

 19世紀末から20世紀前半のフランスで活躍した画家、ピエール・ボナール(1867‐1947年)は、世紀末に誕生した「ナビ派」の一員として、近年日本においてもその名が広く知られつつあります。活動初期には浮世絵の影響が顕著に表れた装飾的画面により、「日本かぶれのナビ」と呼ばれました。20世紀に入ると、身近な人物や物、風景などを独自の感性でとらえ、鮮烈な色彩で描いた絵画を多数生み出します。

 フランスでは近年ナビ派の画家たちへの評価が高まっており、2015年にオルセー美術館で開催されたピエール・ボナール展では約51万人が来場し、2014年のゴッホ展に次いで同館における企画展入場者数の歴代第2位を記録しました。

 本展は、ボナールの作品を数多く所蔵するオルセー美術館のコレクションを中心に、国内外のコレクションから集められた130点超の作品で構成されるボナールの大規模な回顧展です。油彩72点、素描17点、版画・挿絵本17点、写真30点といったさまざまなジャンルを通じて、今最も注目される画家、ピエール・ボナールの魅力に迫ります。


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1.日本かぶれのナビ

 印象派に続く世代に属するピエール・ボナールは、1887年、19歳のときにパリの画塾アカデミー・ジュリアンに通い始め、画家の道を志します。翌年ナビ派が誕生すると、ボナールはその美学に共鳴する中心的メンバーとして、平坦な色面を組み合わせて身近な主題を描くことに没頭していきます。ちなみに、「ナビ」とはヘブライ語の「預言者(nabiya)」に由来する名称です。

 1890年、ナビ派の画家たちは、国立美術学校(エコール・デ・ボザール)で開催された「日本の版画展」に大きな衝撃を受けます。ボナールは浮世絵から学んだことを身近な人物やパリの日常生活の描写へと溶け込ませていきます。そしてボナールは、浮世絵からの強い影響が現れた《黄昏(クロッケーの試合)》を見た美術批評家のフェリックス・フェネオンに「日本かぶれのナビ」と評されることとなります。

ピエール・ボナール《黄昏(クロッケーの試合)》1892年 油彩、カンヴァス オルセー美術館 © RMN-Grand Palais (musée d’Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF

ピエール・ボナール《庭の女性たち》1890-91年 デトランプ、カンヴァスに貼り付けた紙(4点組装飾パネル) 160.5×48cm(各) オルセー美術館 (C)RMN-Grand Palais (musée d’Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF

ピエール・ボナール《ランプの下の昼食》1898年 油彩、板に貼られた厚紙 オルセー美術館© RMN-Grand Palais (musée d’Orsay) / Adrien Didierjean / distributed by AMF

2.ナビ派時代のグラフィック・アート

 ボナールの父は息子が法律の道に進むことを望んでいましたが、当のボナールは大学で法律を学ぶ傍ら絵画制作に励んでいました。そして1889年、ボナールの制作したポスターがフランス=シャンパーニュの広告コンクールで受賞し、賞金100フランを獲得したことをきっかけに、父はようやく息子が画家になることを認めました。

 受賞したポスター《フランス=シャンパーニュ》は1891年にパリの街中に貼り出されて話題を呼び、ボナールが芸術家としてのキャリアをスタートさせるきっかけとなります。その後ボナールは、リトグラフによるポスターや本の挿絵、版画集の制作にも精力的に取り組みました。


ピエール・ボナール《フランス=シャンパーニュ》1891年 多色刷りリトグラフ 川崎市市民ミュージアム
ピエール・ボナール《ラ・ルヴュ・ブランシュ》1894年 多色刷りリトグラフサントリーポスターコレクション(大阪新美術館建設準備室寄託)
『入院したユビュおやじ』(アンブロワーズ・ヴォラール) ジョルジュ・クレ社、パリ 1917年刊 個人蔵
『博物誌』 (ジュール・ルナール) エルネスト・フラマリオン社、パリ 1904年刊 個人蔵

3.スナップショット

 1889年、コダック社の創業者ジョージ・イーストマンが感光性乳剤を塗布した柔軟性のあるフィルムの販売を開始し、写真はより身近な存在になりました。それまではプロにしか扱えない代物であった写真機が、これを機にアメリカやヨーロッパで多くのアマチュアの手に渡ることになったのです。

 ボナールは1890年代初頭から写真を撮り始め、250枚を超える写真が今も残されています。カメラを手にした当時の画家たちは、とりわけフレーミングと光の観点から写真に興味をもっていましたが、ボナールは生の移ろいを写し留めるために写真を撮りました。またこれらの写真は、ボナールが同時に手がけていたさまざまな芸術の表現技法と、その着想源となった数々の主題のあいだを行き来する彼の創造性を明らかにしています。

《ル・グラン=ランの庭で煙草を吸うピエール・ボナール》1906年頃 モダン・プリント 6.5×9cm オルセー美術館 (C)RMN-Grand Palais (musée d’Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF

4.近代の水の精(ナイアス)たち

 ボナールは女性の身体を主題として、造形表現の可能性を探求しました。1908年ごろから身体を洗う裸婦の主題に取り組むようになり、モンマルトルのアパルトマンでは数々の裸婦画が生み出されました。この浴室の裸婦という主題には、そのモデルとして多く描かれた妻のマルトが持病の神経障害の治療のため、一日に何度も入浴していたことが影響していると考えられています。

 ボナールはモデルにポーズを取らせるよりも、日常的な動作に没頭させることを好みました。目で見たものをそのまま再現することを拒み、画家は想像や記憶、感情を拠りどころとして浴室の裸婦を描いたのです。


ピエール・ボナール《浴盤にしゃがむ裸婦》1918年 油彩、カンヴァス オルセー美術館  © Musée d’Orsay, Dist. RMN-Grand Palais / Patrice Schmidt / distributed by AMF
ピエール・ボナール《化粧室 あるいは バラ色の化粧室》1914-21年 油彩、カンヴァス オルセー美術館 © RMN-Grand Palais (musée d’Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF

5.室内と静物 「芸術作品―時間の静止」

 ボナールは、そこにある事物が何であるかを認識し、それらの位置関係や空間の奥行きを把握する以前の、総体的な感覚をカンヴァス上に出現させようとしました。これを後年「不意に部屋に入ったとき一度に目に見えるもの」と語っています。その言葉どおり、ボナールは生涯にわたってマルトをはじめとする家族や動物たちが集う親密な室内空間を描き続けました。なかでも画面の手前にテーブルを置き、その奥に人物や動物を配した構図が非常に多く見られます。また、ロココ時代のフランスの画家、シャルダンを崇拝していたボナールは、テーブルの隅にモティーフを置くことにも喜びを覚えていました。

 対象がもたらす感覚を捉えようとしたボナールは、実際に絵画を制作するにあたり、モティーフを目の前にして描いたわけではありませんでした。まず目にした光景や対象を素早くスケッチし、そのスケッチと記憶を頼りにアトリエでカンヴァスに向かっていたのです。また、複数のカンヴァスを壁にピンで止め、同時に取り組んでいたボナールは、非常に制作の遅い画家でもありました。数年にわたって描き続けることもしばしばで、ときには10年以上の時を経て、再び着手された作品もあります。ボナールは、記憶と自らが描きつつあるイメージのあいだを行き来しながら筆を重ねました。その過程で、ときに記憶は変容し、カンヴァス上での新たな発見が重なって、他ならぬボナールの絵画空間が生まれるのです。


ピエール・ボナール《猫と女性 あるいは 餌をねだる猫》1912年頃 油彩、カンヴァス 78×77.5cm オルセー美術館 (C)RMN-Grand Palais (musée d’Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF
《ル・カネの食堂》1932年 油彩、カンヴァス オルセー美術館 (ル・カネ、ボナール美術館寄託) © Musée d’Orsay, Dist. RMN-Grand Palais / Patrice Schmidt / distributed by AMF

ピエール・ボナール《桟敷席》1908年 油彩、カンヴァス オルセー美術館 © RMN-Grand Palais (musée d’Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF

6.ノルマンディーやその他の風景

 パリで画家としてのキャリアをスタートさせたボナールは、やがてノルマンディー地方の自然に魅了されるようになります。その後、クロード・モネの『睡蓮』の展示を見たことをきっかけに、1909年の冬、ボナールはジヴェルニーのモネの家を初めて訪れました。翌1910年には、ジヴェルニーにほど近いヴェルノンに小さな家を借り、1912年にこの家を購入して「マ・ルロット(私の家馬車)」と名付けて1938年まで定期的に滞在します。ここでの暮らしはボナールの創作意欲をおおいに刺激し、風景や静物、水浴をするマルトなどを主題に、100点を超える作品が制作されました。

 そのほかにも、ヴェルノンからさらに北西に位置するドーヴィルやその対岸のトル―ヴィルも頻繁に訪れ、さらにはノルマンディーだけでなく、大西洋に面したフランス南西部の海岸も、ボナールの制作の舞台となりました。ノルマンディー地方の海岸や大西洋沿岸をめぐりながら、ボナールは表情豊かな海景画を多く生み出したのです。

ピエール・ボナール《ボート遊び》 1907年 油彩、カンヴァス オルセー美術館 © Musée d’Orsay, Dist. RMN-Grand Palais / Patrice Schmidt / distributed by AMF © RMN-Grand Palais (musée d’Orsay) / image RMN-GP / distributed by AMF

ピエール・ボナール《セーヌ川に面して開いた窓、ヴェルノンにて》1911年頃 油彩、カンヴァス ジュール・シェレ美術館、ニース

7.終わりなき夏

 ノルマンディー地方での制作と前後して、ボナールは南フランスの光を発見します。1909年にはコート・ダジュールの港町サン=トロペに初めて長期滞在し、その後1910年代から30年代にかけて、パリと北フランス、そして南フランスを渡り歩きながら制作に励む日々を過ごしました。こうした暮らしのなかで、異なる気候や風土をもつ土地それぞれの風景画を描く一方、ボナールはどこの風景とも判別のつかない作品を生み出します。さらにこの時期には、自らを画家=装飾家とみなしていたボナールのもとに、大型の装飾画の注文が多く舞い込みました。

 1900年代の半ばからコート・ダジュール沿岸を毎年のように訪れていたボナールは、1926年にカンヌに近いル・カネの丘の上に建つ家「ル・ボスケ(茂み)」を購入し、飽きることなくここからの風景を描きました。この家を購入したあとも、フランス各地を転々としていたボナールですが、1939年以降は、第二次世界大戦の戦火を避けてル・カネに引きこもることになります。

 その後ボナールは終戦後の1945年と46年に数回パリに滞在したことを除いては、1947年に亡くなるまでル・カネに留まり、決して終わることのない「夏」を描き続けます。そして画家が死の目前まで手を入れた作品もまた、夏に実を結ぶ《花咲くアーモンドの木》でした。

ピエール・ボナール《水の戯れ あるいは 旅》1906-10年 油彩、カンヴァス オルセー美術館 © RMN-Grand Palais (musée d’Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF


ピエール・ボナール《にぎやかな風景》1913年 油彩、カンヴァス 愛知県美術館
ピエール・ボナール《地中海の庭》1917-18年 油彩、カンヴァス ポーラ美術館

ピエール・ボナール《花咲くアーモンドの木》1946-47年 油彩、カンヴァス オルセー美術館(ポンピドゥー・センター、国立近代美術館寄託) © RMN-Grand Palais (musée d’Orsay) / image RMN-GP / distributed by AMF


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開催概要

オルセー美術館特別企画 ピエール・ボナール展
会期 2018年9月26日(水)~12月17日(月)
休館日 火曜日
開館時間 10:00~18:00 毎週金・土曜日は20:00まで。ただし9月28日(金)、29日(土)は21:00まで ※入館は閉館の30分前まで
会場 国立新美術館 企画展示室 1E
〒106-8558 東京都港区六本木 7-22-2

観覧料

  当日券 団体券
一般 1,600円 1,400円
大学生 1,200円 1,000円
高校生 800円 600円
中学生以下 無料

※団体は20名以上
※障がい者手帳をお持ちの方とその介護者1名は無料(要証明)
※11月14日(水)~11月26日(月)は高校生無料観覧日(学生証の提示が必要)

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