上野周辺 西洋美術

芸術家たちが追及した男性美『ミケランジェロと理想の身体』を国立西洋美術館にて

 上野にある国立西洋美術館では、古代からルネサンス期までの「男性美」に焦点を当てた展覧会、『ミケランジェロと理想の身体』が開催中です。貴重なミケランジェロの作品2点も展示されている本展のレポートを、見どころ紹介とともにお送りします。

古代ギリシャ・ローマからルネサンスまで 約70点を通して男性の身体美に迫る

 聖母子像《ピエタ》や、英雄の神々しいまでの肉体を表した《ダヴィデ》、旧約聖書の物語を描いた奥行き40mの《システィーナ礼拝堂天井画》と祭壇画《最後の審判》、そしてサン・ピエトロ大聖堂の巨大なドーム。彫刻、絵画、建築の分野で活躍し、「神のごとき」とまで称されたミケランジェロ・ブオナローティは、ルネサンスを代表する芸術家です。1475年、フィレンツェの郊外で生まれ、この街で絵や彫刻の腕を磨きましたが、彼は自らのことを彫刻家と考えていました。

 ミケランジェロが活躍したルネサンスの黄金期には、古代ギリシャ・ローマ時代の芸術が再評価され、それを手本にした作品が数多く作られました。もちろんミケランジェロも古代彫刻からその美を体得した芸術家の一人です。本展は、そんなミケランジェロを中心に、古代ギリシャ・ローマからルネサンス期の芸術家たちが追求した男性の身体美に迫る展覧会です。

 古代ギリシャの彫刻や壺絵、古代ローマ時代の壁画、ルネサンス期の作家による彫刻や絵画、版画、工芸など、身体を題材とする多種多様な作品約70点が展示され、究極の"理想の身体"を堪能することができます。

 これまでルネサンスをテーマとする展覧会は数多く開催されてきましたが、ルネサンスをよりどころに男性美に焦点を当てたものはほとんどなく、アジア全域でみても初めての構成となっています。

超貴重なミケランジェロの彫刻作品が2点来日

 現存するミケランジェロによる大理石彫刻の作品は、世界で約40点しかありません。そして至宝とみなされているそれらの作品たちが所蔵元を離れることは極めて少なく、ゆえにそれらを紹介する展覧会を日本で開催するのは不可能に近かったのです。 本展は、そんな超貴重なミケランジェロの彫刻作品が、なんと2点も同時に来日するまさに奇跡の展覧会といえるでしょう。

 「大理石に封じ込められた人物を取り出し、命を吹き込む」ミケランジェロ芸術の真髄である彫刻作品は、必見中の必見です。

 

三つの章を通じて古代からルネサンス期の男性裸体表現を概観する

 本展は、大まかに『古代ギリシャ・ローマからルネサンスまでの発展』、『ミケランジェロとその周辺』、そして『ミケランジェロの功績』という三つの章で構成されています。最大の目玉がミケランジェロ作品であることは言うまでもありませんが、展覧会の趣旨は男性裸体表現がどのような変化をたどり、それをミケランジェロがどう消化して自身の芸術に活かしたのか、ということでしょう。ここでは各章をダイジェスト的に紹介します。

【身体表現の基礎『コントラポスト』に注目】

 本展観覧にあたって、おさえておきたいワードが「コントラポスト」です。コントラポストとは、古代ギリシャで生まれた身体美の理想的な表現で、片脚に重心を置き、反対の足は浮かせるポーズのことです。片方の脚に重心をかけることで腰が浮き上がり、逆に肩は下がります。これにより人物像に動きがもたらされるのです。このコントラポストによって生み出された美しさは、古代からルネサンス、そして現代まで受け継がれています。

I 人間の時代−美の規範、古代からルネサンスへ 

 美の理想像は、数千年のあいだにさまざまな変化を遂げてきました。第一章では、その発展の様子を四つのテーマに分け、どのような表現がミケランジェロの芸術に繋がっていったのかをひもときます。

I-1 子どもと青年の美

 古代ギリシャ人の関心は、青年と大人で始まりますが、その後は少年、そして幼児へと向かいました。理想のプロポーションからかけ離れた身体が魅力的だったのです。

《プットーとガチョウ》 1世紀半ば 大理石 ヴァチカン美術館蔵 Città del Vaticano, Musei Vaticani

アンドレア・デル・カスターニョ 《花綱を伴う小プットー》1448-49年 フィレンツェ、ウフィツィ美術館蔵

《アキレウスとケイロン》65-79年 ナポリ国立考古学博物館蔵

マリオット・アルベルティネッリ《聖セバスティアヌス》1509-10年 油彩/板 個人蔵

I-2 顔の完成

 ギリシャ古典期の人々は、「肖像」に興味をもつことはありませんでした。彼らが求めたのはあくまでも理想的な相貌であり、普遍的ともいえる形です。ゆえに、肖像が美術の対象となるまでには長い時間を要しました。

《男性頭部》 2世紀 大理石 フィレンツェ国立考古学博物館蔵 Su concessione del Ministero dei Beni e delle Attività Culturali e del Turismo-Polo Museale della Toscana-Firenze

 ルネサンスでも顔の表現における理想化が試みられましたが、彼らは古代の理想像と同時に、すでに肖像にも通じていました。そのため、理想化された顔つきのなかにもどことなく個別的な特徴が見て取れます。

バッチョ・バンディネッリ《バッカスの頭部》 1515年頃 大理石 フィレンツェ、ジョヴァンニ・プラテージ・コレクション蔵 Firenze, Collezione Giovanni Pratesi

I-3 アスリートと戦士

 ギリシャ古典期における人体表現の規範は、アスリートの身体を通して確立されました。同時に、戦士など戦いのテーマは、神々や英雄の卓越性を表現し、ギリシャ民族の優位性を暗示するために不可欠なモデルだったのです。

《アメルングの運動選手》紀元前1世紀 大理石 フィレンツェ国立考古学博物館蔵

I-4 神々と英雄

 古代ギリシャ人は、超越した存在である神の姿を、人間の最も美しい姿によって表現しました。したがって、神々は常に完璧な肉体を誇っていたのです。

 ルネサンスにおいても、古代神話は男性裸体表現の技を磨くための重要な素材となりました。どちらの時代も、ギリシャ神話は尽きることのない題材であり、なかでも最大の人気を博したのは「ヘラクレス」でした。

《ヘラクレス》紀元前4世紀後半 大理石 フィレンツェ国立考古学博物館蔵 Su concessione del Ministero dei Beni e delle Attività Culturali e del Turismo-Polo Museale della Toscana-Firenze

 さまざまなタイプが存在するヘラクレスの立像に共通するのは、棍棒を携えているという点です。それぞれの違いは、どちらの手で棍棒を持ち、どちらの脚に重心をかけているかというのが最大のポイントとなります。上の作品のように、左手で棍棒を持ち、同じ左脚に重心をかけているヘラクレス像は珍しく、あまり作例がありません。

II ミケランジェロと男性美の理想

 ミケランジェロは、年齢に応じた肉体を分析するなどして、新たな身体表現を生み出しました。第二章ではミケランジェロの作品2点とともに、ミケランジェロの表現に直接的な影響を与えた作品、さらにミケランジェロから影響を受けたであろう作品も展示されています。

ミケランジェロの芸術に多大な影響を与えた古代彫刻《ラオコーン》

  古代彫刻ラオコーンは、1506年1月14日、ローマの皇帝トラヤヌスが造らせた浴場の跡から出土します。ギリシャ神話に登場する神官・ラオコーンが神の怒りを買い、蛇によって息子もろとも絞め殺される場面が表現されています。苦痛に身悶える身体、恐怖に歪む表情など、その芯に迫った描写は、人々に強い衝撃を与えました。当時31歳だったミケランジェロも、建築家であるジュリアーノ・ダ・サンガッロの呼びかけに応じ発掘に立会い、多大な影響を受けています。 

マルコ・ダ・ラヴェンナ《ラオコーン》1520-25年頃 エングレーヴィング フィレンツェ、ウフィツィ美術館版画素描室蔵  Gallerie degli Uffizi, Gabinetto Disegni e delle Stampe /Su concessione del Ministero dei Beni e delle Attività Culturali e del Turismo

 ラオコーンはたちまち評判を呼び、版画が制作されます。上の作品は、発見されて間もない状態を示す貴重な資料です。その後、ラオコーンを模した彫刻も作られました。大理石による最初の模刻は、1520年~25年のバッチョ・バンディネッリによるもので、そこでは欠けていた右腕を高々と上げるよう補修されました。

 そしてその模刻を参考にして制作されたのが、本展に展示されているヴィンチェンツォ・デ・ロッシによる《ラオコーン》です。オリジナルと比べると細部の違いは著しく、これは模刻というよりヴィンチェンツォ・デ・ロッシ自身の解釈に基づいて再構築された作品といえるでしょう。なお、本展ではこの彫刻に限り写真撮影が可能となっています。

 

ヴィンチェンツォ・デ・ロッシ《ラオコーン》1584年頃 大理石 ローマ、個人蔵、ガッレリア・デル・ラオコーンテ寄託

初期の傑作《若き洗礼者ヨハネ》

ミケランジェロ・ブオナローティ《若き洗礼者ヨハネ》1495-96年 大理石 ウベダ、エル・サルバドル聖堂、ハエン(スペイン)、メディナセリ公爵家財団法人蔵 Úbeda, Capilla del Salvador; Jaén (Spain), Fundacion Sacra Capilla del Salvador © Ministero per I Beni e Le Attività Culturali e del Turismo, Opificio Delle Pietre Dure

 ミケランジェロが20歳を過ぎたばかりのころに制作された傑作で、「ヨハネ」とは、イエスに洗礼を授けた預言者のことです。この作品で特筆すべきなのは、通常成人か幼児で表されるヨハネを、あえてその中間である8歳ごろの少年として表現している点です。ミケランジェロは、徹底した人体研究のなかで少年期の表現に魅了され、本作でその主題を追及したのです。

 スペイン・ウベダのエル・サルバドル聖堂に飾られていた本作は、内戦下の1936年夏、共和国軍によって粉々に破壊されてしまいます。その後、瓦礫のなかから発見されたのはわずか14個の断片のみでした。2010年になり具体的な修復の方向性が決定、修復作業が始まり、2013年5月に完了しました。現存部分は全体の約40%で、欠損部分は合成素材で補完されました。補完部分はマグネットで接合され、今後もし新たな断片が見つかった場合に、いつでも差し替えることができるようになっているのです。また、同様の理由から補完部分は目で見てはっきりと認識できるようになっています。

謎に包まれた壮年の作《ダヴィデ=アポロ》

ミケランジェロ・ブオナローティ《ダヴィデ=アポロ》1530年頃 大理石 フィレンツェ、バルジェッロ国立美術館蔵 Firenze, Museo Nazionale del Bargello / On concession of the Ministry of cultural heritage and tourism activities

 《ダヴィデ=アポロ》は、ミケランジェロが50代半ばに作った未完の作品です。コントラポスト、ラオコーンから学んだ身体のひねり。古代の二つの手法を融合させ、これまでにない美へと昇華させました。官能的な肉体、想像力を掻き立てる表情。本作は、青年期の作品とは異なる、壮年を迎えたミケランジェロの新たな挑戦であったといえるでしょう。

 作品の名称は、「ダヴィデ」かもしれないし「アポロ」かもしれないということを表しています。未完に終わったため、古代イスラエルの英雄・ダヴィデとも、ギリシャ神話の神・アポロとも考えられるのです。足元の球体は、ダヴィデが倒した巨人・ゴリアテの頭なのか。肩にやった腕の先にあるのはアポロを象徴する矢を収める矢筒なのか。表面には無数のノミ跡も残っており、ミケランジェロの息づかいをも感じさせます。

 本作が完成しなかったのには理由があります。教皇クレメンス7世と神聖ローマ帝国の連合軍がフィレンツェに攻め入ってきた際、フィレンツェ市民として独立を守ろうとしたミケランジェロは、教皇に反旗を翻し、リーダーの一人として要塞を建設します。しかし、共和国は敗北し、仲間は次々に処刑されていきました。危うい立場になったミケランジェロは、教皇との和解のために、その司令官であったバッチョ・ヴァローリに《ダヴィデ=アポロ》を制作して送ることにします。ところが、ミケランジェロを高く評価していたクレメンス7世は、彫刻の完成を待たずにローマに呼び出し、システィーナ礼拝堂の壁画などの制作を命じたのです。壁画の完成には5年もの歳月を費やすこととなり、その後はフィレンツェに戻ることなく、88年の生涯をローマで閉じることになります。結局未完のままの《ダビデ=アポロ》は、故郷で制作された最後の作品となりました。

 ちなみに、《若き洗礼者ヨハネ》と《ダヴィデ=アポロ》の2点は、一時同じ人物によって所蔵されていたことがありますが、今回は両者が約500年ぶりに再会を果たします。どちらの作品も360度全方向から観ることができますので、お気に入りの角度を見つけてみてください。《ダヴィデ=アポロ》に関しては、目線の先に立って観るのがおすすめです。

III 伝説上のミケランジェロ

 ミケランジェロは、生前から神話的な存在になっており、彼の容貌や生涯は、伝記や肖像画、さまざまな記念のメダルなどによってヨーロッパ全土に伝わりました。第三章では、もはや伝説として扱われたミケランジェロの姿を表現した作品が並びます。

パッシニャーノ《ミケランジェロの肖像》17世紀初頭 油絵/カンヴァス 個人蔵

 ミケランジェロの肖像画の多くは、16世紀前半に本人を前にして描かれた2枚の絵を手本としていましたが、やがてこれにミケランジェロの著名な作品が描き込まれるなどして改変されました。19世紀になると、彼の生涯における有名なエピソードを題材にした作品が制作されるようになります。

音声ガイドナビゲーターは声優の安元洋貴さん

 本展の音声ガイドは、数々の人気アニメ等の声をあてている声優・安元洋貴さんが担当しています。作品の解説はもちろん、ミケランジェロの言葉やエピソードなども聞くことができます。ミケランジェロになりきった語りは、さすが声優さんといった素晴らしいクオリティです。

 ボーナストラックとして、ソノダオーケストラfeaturing 中川晃教の「ミケランジェロ」(作曲:園田涼、作詞:江國香織)も特別収録されています。

所要時間:約35分
貸出価格:おひとり様1台 520円(税込)
ガイド制作:(株)アコースティガイド・ジャパン

グッズは超バリエーション豊富

 美術館入口付近の特設ショップでは、Tシャツやファイル類、ポストカード、お菓子、おしゃれな小物やアクセサリーなど、定番アイテムから珍しい変わり種までさまざまなグッズが販売されています。

 公式図録は、ミケランジェロ彫刻の魅力をわかりやすく紹介するとともに、出品作品全70点の写真と詳しい解説が付いています。価格は2500円(税込)です。

 漫画家・そにしけんじさんによる、展覧会公式キャラクターで彫刻家志望の「ミケにゃん」のオリジナルグッズも見逃せません。手ぬぐい(1,000円)、タオルハンカチ(600円)、A6ノート(550円)、ロール付箋(500円)、丸マグネット(500円)、アクリルキーホルダー(756円)などかわいらしいグッズがラインナップ。人気のため入荷待ちのアイテムもありますのでご注意ください。

 

常設展もお忘れなく

 本展観覧後は、日本一の西洋美術コレクションを誇る国立西洋美術館の常設展をお見逃しなく。ルーベンス、ルノワール、ドガ、マネ、セザンヌ、モネ、ファン・ゴッホ、ゴーガン、ピカソ、ロダンといった超有名芸術家の作品も盛りだくさん。非常に見応えがあり、常設展だけで一日楽しめるほどです。300円で音声ガイドを利用することもできます。

 また、新館2階の版画素描展示室では、『西洋版画を視る―エングレーヴィング:ビュランから生まれる精緻な世界』が開催中です。エングレーヴィングという版画の技法による、15-17世紀の作品を中心に展示するとともに、エングレーヴィング作品の制作工程や道具なども紹介しています。ミケランジェロ展と同じ、9月24日までの開催です。

 常設展は『ミケランジェロと理想の身体』のチケットを提示することで、無料で観覧することができます。上記の『西洋版画を視る』も、常設展のなかにありますので一緒に観覧可能です。

最後に

 男性の身体美は、女性のものとは違い、彫刻作品においてその魅力を発揮するのだと感じました。造形に美を見いだすのはいつの時代にも存在する感覚といえますが、彼らはその対象として最も身近な人間の身体美を追求しました。外観によって人を判断する現代において、その本質を、そしてその究極のかたちをまっすぐ見つめる芸術家たちの眼差しには多くの方が心動かされることでしょう。

 今回は平日の朝一番で行ってきましたが、すでに多くのお客さんがいらっしゃいました。とはいえ、鑑賞に影響があるほどの混雑ではありません。しかし、この先会期末が近づくにつれて大きな混雑も予想されますので、それを回避したい場合は21時まで開館している金曜日・土曜日の夕方以降がおすすめです。それと、館内は冷房によって温度がかなり低くなっていますので、寒がりの方は上着を用意していきましょう。

以上、国立西洋美術館にて開催中、『ミケランジェロと理想の身体』のレポートでした。

開催概要

ミケランジェロと理想の身体

会期 2018年6月19日(火)~9月24日(月・休) 
休館日 月曜日、7月17日(火)
開館時間 09:30~17:30、金・土曜日のみ~21時 ※入館は閉館の30分前まで
会場 国立西洋美術館
〒110-0007 東京都台東区上野公園7-7

※7月16日(月・祝)、8月13日(月)、9月17日(月・祝)、9月24日(月・休)は開館

観覧料

  当日券 前売券/団体
一般 1,600円 1,400円
大学生 1,200円 1,000円
高校生 800円 600円
中学生以下 無料

※( )内は前売および20名以上の団体料金
※学生券をお求めの場合は、学生証の提示が必要
※障がい者手帳をお持ちの方とその介護者1名は無料(要証明)

スライドトーク

展覧会のみどころや主な作品について、スライドを使って解説します。
日時:7月6日(金)、8月17日(金)、9月14日(金)
各回午後6時~(約30分)
会場:国立西洋美術館講堂(地下2階)
解説者:飯塚隆(本展監修者・国立西洋美術館主任研究員)
定員:各回先着130名
※聴講無料。ただし、聴講券と本展の観覧券(半券可)が必要です。参加方法直接講堂にお越しください。
※開場時間は各日とも開演の30分前。

© 2024 Art-Exhibition.Tokyo