上野周辺 西洋美術

『ゴッホ展 巡りゆく日本の夢』を東京都美術館にて 展覧会情報・解説・感想・混雑状況もお伝えします。

フィンセント・ファン・ゴッホ《寝室》

 東京、上野の東京都美術館に『ゴッホ展  巡りゆく日本の夢』を観に行きました。ファン・ゴッホが日本から受けた影響、そして日本に与えた影響を紹介するこの展覧会を解説します。

金曜日の夜間鑑賞が超おススメ

 私が行ったのは金曜日の18時頃でしたが、とても空いていてじっくり鑑賞することができました。また夜の美術館というのは雰囲気も抜群にいいです。
平日に関しては入場の待ち時間が発生することはあまりないようですが、会場内は連日混雑しているようなので金曜日の夜は穴場なのかも知れません。(夜まで開館しているのは毎週金曜日だけですのでご注意下さい)土日祝日は時間帯によって10~30分程の待ち時間が発生しているようです。また、会期末になると一段と混雑すると思いますので出来るだけ早いうちに行かれることをお勧めします。
公式Twitter(ゴッホ展 巡りゆく日本の夢 (@gogh_japan) | Twitter)にて混雑状況を確認出来ますのでこちらを参考にして少しでも空いている時間を狙いましょう。

音声ガイド常盤貴子さん

 音声ガイドのナビゲーターは女優の常盤貴子さんが担当しています。温かみのある声色がとても落ち着きますね。展覧会の構成がわかりやすいのでガイドなしでも十分楽しめますが、より深く作品について知りたい方、制作にまつわるエピソードを聞きたい方にはお勧めです。混雑している展覧会では、ガイドを利用して作品の見どころを知ることによって効率的に質の高い鑑賞が出来ますから、一点一点じっくり観られないという状況にも助けになってくれますよ。
音声ガイドは、展覧会入口すぐの場所で貸し出ししています。価格は1台520円です。

展覧会解説 

フィンセント・ファン・ゴッホ《画家としての自画像》

フィンセント・ファン・ゴッホ《画家としての自画像》1887年 油彩・カンヴァス ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)蔵 ©Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

 フィンセント・ファン・ゴッホは、言わずと知れたオランダのポスト印象派を代表する画家です。因みに、日本においては名前のファン(van)を省略してゴッホという呼び方が定着していますが、オランダ人名のファンはミドルネームではなく姓の一部であるために省略しないのが正しい呼び方になります。

 日本でもその名を知らない人はいないと言ってもいいほど有名なファン・ゴッホですが、しかし彼が日本に強い憧れを抱き、影響を受けていたことを知る人はどれほどいるでしょか。この展覧会はファン・ゴッホと日本の関係を、“ファン・ゴッホが憧れた日本”、“日本人が憧れたファン・ゴッホ”という二つの視点で紹介しています。

第1部 ファン・ゴッホのジャポニスム

 第1部では、日本初公開のものを含むファン・ゴッホ作品約40点と、同時代の画家の作品や浮世絵など50点あまりが展示されています。ファン・ゴッホが実際に影響を受けたであろう浮世絵版画が一緒に展示されているというのが本展覧会の面白さではないでしょうか。双方を見比べてみると、様々な発見があると思います。

ファン・ゴッホが愛した日本

 19世紀後半、日本の開国を機にヨーロッパ諸国で「ジャポニスム(日本趣味)」が最盛期を迎えました。印象派の画家たちを筆頭に、多くの芸術家たちが浮世絵などの日本美術や文化等に影響を受けたのです。その中でもひと際強く影響を受け、日本に対する憧れを抱いたのがファン・ゴッホでした。

 1886年、33歳の時に弟のテオを頼ってパリにやってきたファン・ゴッホは、様々な画家と交流するなかで浮世絵と出会い、「日本」の魅力に引き込まれていきます。画商S・ビングの店の屋根裏部屋で、収集した膨大な量の浮世絵版画を研究し、それらを模写した油彩画を描き、構図や色彩を学び取っていきます。 そして、日本人の生き方や考え方そのものがその後の彼の人生に影響を与えることになるのです。

フィンセント・ファン・ゴッホ《花魁(溪斎英泉による)》

フィンセント・ファン・ゴッホ《花魁(溪斎英泉による)》1887年 油彩・綿布 ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)蔵©Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

 ファン・ゴッホがパリに移った1886年に出された『パリ・イリュストレ』誌の日本特集号の表紙に使われていた英泉の《雲龍打掛(うんりゅううちかけ)の花魁》を拡大模写して自身の《花魁》に描き込みました。さらに、その周囲には別の浮世絵から複数のモチーフを取り込み配置しています。このようにしてファン・ゴッホは、浮世絵をはじめとする美術作品や日本を紹介した文章を通して独自の芸術性を築き上げていったのです。

溪斎英泉《雲龍打掛の花魁》

溪斎英泉《雲龍打掛の花魁》1820~1830年代 木版、紙(縦大判錦絵、縦2枚続)千葉市美術館蔵

東京展後期展示、他の会期では個人蔵作品を展示

二代 歌川芳丸《新板虫尽》

二代 歌川芳丸《新板虫尽(しんぱんむしづくし)》1883年 木版、紙(縦大判錦絵) ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)蔵(Vincent van Gogh Foundation)

理想郷へ

 パリでの生活に疲弊したファン・ゴッホは、1888年2月、芸術家たちが互いに助け合いながら生きる共同体を作ろうと南仏アルルへと移り住みます。「この冬、パリからアルルへと向かう旅の途上でおぼえた胸の高鳴りは、今もいきいきと僕の記憶に残っている。〈日本にもう着くか、もう着くか〉と心おどらせていた。子供みたいにね。」 と、後に合流するゴーギャンに語ったように、ファン・ゴッホにとってアルルの地は日本そのものだったのです。

フィンセント・ファン・ゴッホ《雪景色》

フィンセント・ファン・ゴッホ《雪景色》1888年 油彩・カンヴァス  個人蔵©Roy Fox

 アルルからの最初の手紙には、「雪の中で雪のように光った空を背景に白い山頂を見せた風景は、まるでもう日本人の画家たちが描いた冬景色のようだった」と記されています。

フィンセント・ファン・ゴッホ《アイリスの咲くアルル風景》

フィンセント・ファン・ゴッホ《アイリスの咲くアルル風景》1888年 油彩・カンヴァス  ファン・ゴッホ美術館 (フィンセント・ファン・ゴッホ財団)蔵©Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

 「黄色や紫の花が満開の野に 囲まれた小さな町。ほんとうに日本の夢のようだよ。」これこそ彼が夢にまで見た日本の景色だったのでしょう。

フィンセント・ファン・ゴッホ《寝室》

フィンセント・ファン・ゴッホ《寝室》1888年 油彩・カンヴァス  ファン・ゴッホ美術館 (フィンセント・ファン・ゴッホ財団)蔵©Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

  ファン・ゴッホ自身が「アルル時代の自分の最良の作」と言ったお気に入りの1枚であり、彼の代表作のひとつに数えられる作品。「陰影は消し去った。浮世絵のように平坦で、すっきりした色で彩色した」と語るように、浮世絵を意識して描かれています。

フィンセント・ファン・ゴッホ《タラスコンの乗合馬車》

フィンセント・ファン・ゴッホ《タラスコンの乗合馬車》1888年 油彩・カンヴァス  ヘンリー&ローズ・パールマン財団蔵 (プリンストン大学美術館 長期貸与)©The Henry and Rose Pearlman Collection / Art Resource, NY

 《寝室》と同じく、原色を組み合わせた浮世絵風の平坦な色面構成。馬車の影も薄紫の色面で描いています。

 「ここではもう僕に浮世絵は必要ない。なぜなら、僕はずっとここ日本にいると思っているのだから。したがって、目を開けて目の前にあるものを描きさえすればそれでいい」
「画家たちの天国以上、まさに日本そのものだ」とまで言った理想郷での充実した日々の中で、ファン・ゴッホはかの有名な《ひまわり》(本展への出品はなし)を始めとした数々の名作を生み出しました。

 しかし、この素晴らしい造像力に満ち溢れた日々は、やがて到着したゴーギャンとのいざこざの後に、1888年12月に起こった「耳切り事件」で終わりを迎えます。ですが、ファン・ゴッホの生涯においてこの地で過ごしたわずか一年ほどの期間は、おそらく彼にとって最も幸福な日々だったと言えるでしょう。

夢の果て

 芸術性などの違いからゴーギャンとの軋轢を深めた結果、自らの耳を切るという暴挙に出たファン・ゴッホ。その際に患った精神病から来る発作は度々彼を襲いました。アルルを離れ、サン・レミの療養所に入院した彼が日本について語ることは殆どなくなりましたが、そこで描かれた作品の中には庭の片隅や植物をクローズアップで描いた日本の花鳥画を思わせるものもあり、夢の名残を感じさせます。

フィンセント・ファン・ゴッホ《蝶とけし》

フィンセント・ファン・ゴッホ《蝶とけし》1889年 油彩・カンヴァス ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)蔵©Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

フィンセント・ファン・ゴッホ《渓谷(レ・ペイルレ)》

フィンセント・ファン・ゴッホ《渓谷(レ・ペイルレ)》1889年 油彩・カンヴァスクレラー=ミュラー美術館蔵 ©Kröller-Müller Museum, Otterlo

フィンセント・ファン・ゴッホ《ポプラ林の中の二人》

フィンセント・ファン・ゴッホ《ポプラ林の中の二人》1890年 油彩・カンヴァス シンシナティ美術館蔵(メアリー・E.・ジョンストン遺贈)

 しかし、とうとう完全にその夢から覚める時が訪れます。急速に近代国家への道を歩み始めた日本は、ファン・ゴッホのみならず多くの人々にとってもはや夢の国ではなくなってしまいました。

1890年7月28日、かつてファン・ゴッホを「日本の夢」へと導いた画商S・ビングは、国立美術学校で開催した浮世絵展の功績を認められ、レジオン・ドヌール勲章を授与されました。奇しくも同じ日、ファン・ゴッホはオーヴェールの屋根裏部屋で自らに銃弾を打ち込み瀕死で床に横たわっていました。そして日付の変わった翌29日、この世を去ります。 ファン・ゴッホがみた夢はここで断たれるわけですが、しかしそれが消え去ってしまったわけではありませんでした。

第2部 日本人のファン・ゴッホ巡礼

 ファン・ゴッホの死から間もないころ、日本では小説家の武者小路実篤、画家の斎藤與里や岸田劉生、美術史家の児島喜久雄ら「白樺派」及びその周辺の文学者や美術家たちによって、彼の作品や生涯が熱心に紹介されました。その熱狂の渦は徐々に広がっていき、大正から昭和初期にかけて多くの日本人がファン・ゴッホ巡礼のためオーヴェールへと赴くことになります。

 第2部では、最初期における日本人のファン・ゴッホ巡礼を、ガシェ家の『芳名録』に基づいた約90点の豊富な資料によってたどります

夢は巡りゆく 

 初めて日本人がオーヴェールを訪れたのは、ファン・ゴッホの死から四半世紀近く経った1914年(大正3年)になりますが(山本鼎、森田恒友)、この時ファン・ゴッホの最期を看取ったポール=フェルディナン・ガシェは、すでに亡くなっていました。しかし、生前ほとんど売れなかったファン・ゴッホ作品の多くは没後もガシェの元に残され、同名の息子がそれらを大切に守り伝えていました。

 その後もファン・ゴッホに強い憧れを抱いていた日本の学者や芸術家たちがガシェ家を訪れ、『芳名録』に名前を残したことがわかっています。ガシェ家には、来訪した日本人約260余名の名が記された芳名録3冊が残されました。現在パリの国立ギメ東洋美術館に所蔵されている芳名録は、本展が日本初公開になります。

『芳名録Ⅰ:初編』表紙1922年3月9日~12月17日署名分

『芳名録Ⅰ:初編』表紙1922年3月9日~12月17日署名分 国立ギメ東洋美術館蔵 Photo © RMN-Grand Palais (Musée Guimet, Paris) / Thierry Ollivier / distributed by AMF-DNPartcom

『芳名録Ⅱ』表紙1922年12月17日~1928年10月27日署名分

『芳名録Ⅱ』表紙1922年12月17日~1928年10月27日署名分 国立ギメ東洋美術館蔵 Photo © RMN-Grand Palais(Musée Guimet, Paris) / Thierry Ollivier / distributed by AMF-DNPartcom

 日本人訪問が芳名録に初めて記された1922年(大正11年)以降、オーヴェール巡礼を行う日本人は次第に増加してゆきます。2冊目の芳名録には、里見勝蔵、佐伯祐三、前田寛治、小島善太郎ら洋画家たち、土田麦僊、小野竹喬ら国画創作協会の中心メンバーとなった日本画家たちなど、日本芸術界の重要人物の名前が多く残されています。油彩画であれ、日本画であれ、その表現手法は異なっても、強烈な色彩表現を見せるファン・ゴッホの作品に若い日本人画家たちは大きな影響を受けました。

 本展では、佐伯の《オーヴェールの教会》や前田の《ゴッホの墓》など、巡礼から生まれた日本近代絵画の名作のほか、写真や手紙などの豊富な資料、さらには日本画家・橋本関雪がガシェ家訪問を記録撮影した極めて貴重な動画も紹介されています。

佐伯祐三《オーヴェールの教会》

佐伯祐三《オーヴェールの教会》1924年 油彩・カンヴァス 鳥取県立博物館蔵

前田寛治《ゴッホの墓》

前田寛治《ゴッホの墓》1923年 油彩・カンヴァス 個人蔵画像提供:鳥取県立博物館

ガシェ家を訪れた高田博厚(左から2人目)と日本人たち

ガシェ家を訪れた高田博厚(左から2人目)と日本人たち1939年4月23日 個人蔵

 ファン・ゴッホの死から120年以上が経った現在も多くの日本人がオーヴェールを訪れており、ファン・ゴッホが見た夢は消えることなく時代を巡り、私たちに新たな夢を見せているのです。

最後に

 ファン・ゴッホの絵は生で観るとその立体感、力強さ、大胆な色使いに本当に驚かされます。写真ではその魅力を全く伝えきれない、言うなれば「生で観るべき画家」だと思います。
さらに今回の展覧会は今までに開かれたゴッホ展とは全く異なったコンセプトによって、ファン・ゴッホの新たな魅力を教えてくれます。これまでにゴッホ展に行かれたことがある方も違った発見があると思いますよ。もちろん、「ゴッホの名前は聞いたことあるけど..」という方の入口としてもおすすめです。ということで、『ゴッホ展 巡りゆく日本の夢』の解説でした。 

開催概要

2017年8月26日(土) ─ 10月15日(日) 北海道立近代美術館
2017年10月24日(火) ─ 2018年1月8日(月・祝) 東京都美術館
2018年1月20日(土) ─ 3月4日(日) 京都国立近代美術館

上記の日程で札幌、東京、京都の3会場を巡回します。

因みにこの展覧会は、日本における「ゴッホ展」の中でも初めて、オランダのファン・ゴッホ美術館との国際共同プロジェクトによるものです。
そして日本展終了後には、ファン・ゴッホ美術館でも開催されるそう。

東京展における開館時間は午前9時30分~午後5時30分 
毎週金曜日、11月1日(水)、2日(木)、4日(土)は午後8時まで開館
※いずれも入室は閉室の30分前まで

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