上野周辺 西洋美術

王の画家にして画家の王『ルーベンス展-バロックの誕生』の見どころや注目作品を紹介

 上野の国立西洋美術館では、17世紀のバロック美術を代表する画家ルーベンスの作品が多数展示される展覧会『ルーベンス展-バロックの誕生』が開催中です。本展のレポートを、鑑賞のポイントや注目作品の紹介とともにお送りします。

ルーベンスのイタリア滞在期に焦点を当てたこれまでにない『ルーベンス展』

 画家で学者で、建築家、さらには7ヶ国語を操る外交官。あらゆる才能をもった偉大な画家ペーテル・パウル・ルーベンスは、1577年にドイツで生まれ、現在のベルギーのあたりであるフランドル・アントウェルペン(英語読みはアントワープ)の由緒ある家系に育ちました。そして早くから画家を志して修行したあとは、若くして宮廷画家を任されたり多くの弟子をかかえる大工房を経営するなど、次々と成功を収めました。

 バロック期を代表する画家であり、後世の美術にもさまざまな影響を与えた西洋美術史における超重要人物であるルーベンスですが、日本においてはあまりその画業の詳細は知られていないように思います。なかでも、22歳で独立した直後の1600年から約8年間をイタリアで過ごしたことを知らずにルーベンスは語れません。ルーベンスは訪れたヴェネツィアやローマなどで数々の歴史的傑作に出会い、そこからさまざまな表現を学び自身の画風を確立したのです。本展ではこのイタリア滞在期に注目し、彼が古代ローマやルネサンスの芸術からどのような影響を受けたのか、そして次世代に与えた影響を解明します。

 これまでに日本では5回のルーベンス展が開催されてきました。本展はそのどれと比べても質・量ともに最大規模といえるでしょう。ルーベンスは膨大な制作依頼を捌くために、「黄金の工房」と呼ばれた工房を組織していました。そのためルーベンスの作品とされているものでも、すべて本人が描いたというものは希少で、たとえば人物の身体を工房の弟子が描いて顔だけルーベンスが描くといったこともしばしばありました。それならまだしも、なかには完全に工房の画家が描いたものにルーベンスが署名のみ行った作品も数多く存在します。そんななか本展に出品されているルーベンス作品は、そのほとんどがルーベンスが少なからず筆を入れたもので、完全に本人による作品も複数出品されています。これはまさしく『ルーベンス展』と呼ぶにふさわしい内容です。

過去開催されたルーベンス展
『ルーベンスの世紀展』(池袋西武百貨店 1969年)
『ルーベンスとその時代』(北海道立近代美術館 1982年)
『ルーベンス展―巨匠とその周辺』(日本橋高島屋他 1985年)
『ルーベンスとその時代展』(東京都美術館他 2000年)
『ルーベンス―栄光のアントワープ工房と原点のイタリア』(Bunkamuraザ・ミュージアム他 2013年)

 ルーベンスは大作を数多く描いた画家です。これはバロック美術が聖書の教えを伝える手段として、いわば「目で見る聖書」として発展し、より感情に訴えかける大きな作品が求められたためです。本展にも3m超の大作がいくつも出品されており、高い天井の展示室にそれらが展示される様子は実に壮観です。一方で小ぶりな作品も多く、小さな画面にこれでもかと人物などが描き込まれた作品たちは、大作にも劣らない迫力がありました。

 本展ではルーベンスが活動初期に訪れたイタリアで学んだことを紹介するために、古代の彫刻を数点展示しているのも注目すべき点でしょう。それらをルーベンス作品と見比べると、誰の目にも明らかなほどポーズや身体の表現、表情などを引用していることがわかります。これはルーベンス作品の原点を知ることができる素晴らしい展示方法だと思います。そしてルーベンスが次世代に与えた影響を一緒に紹介することで、よりルーベンスの偉大さがわかりますし、バロック美術が確立された様子もしっかり見て取れます。そういう意味で本展は、テーマの切り取り方も展示の仕方も絶妙な展覧会だと感じました。

混雑状況

 向かったのは開幕からひと月ほどがたったとある平日、美術館の開館時間とともに入場しました。朝一番なら空いてるかなとも思ったのですが、結果からいえば非常に混雑していました。というのも、開館直後に中学生もしくは高校生の団体がいくつも来館したため、一時的に大混雑といった状況になってしまったのです。とはいえ、それがなければ開館時の混雑はそこまでではなかったと思いますので、必ずしもおすすめできないとはいえないのかもしれません。穴場はやはり夜間開館日である金曜日・土曜日の夕方以降でしょう。当然学生の団体もいませんし、落ち着いて鑑賞できそうです。会期末が近づくと更なる混雑が予想されますので、可能な限り早めに行かれることをおすすめします。

作品点数と所要時間

 本展出品作品は全部で71点となっています。そのうちルーベンス作品は40点(共作や帰属の作品などを含む)で、残りは同時代の画家やルーベンスの影響を受けた画家の作品、そしてルーベンスにインスピレーションを与えた古代の彫刻などです。作品点数自体はそれほど多くはなく、通常だと1時間~1時間30分ほどで観覧できるボリュームですが、混雑状況によっては2時間ほどかかる場合もあるかもしれません。

本展の鑑賞ポイントは?

 西洋美術のど真ん中に位置するルーベンスですが、鑑賞のポイントはやはり作品のテーマや物語を理解することにあります。先述のとおり、バロック美術は「見る聖書」です。作品の中に描かれたさまざまなモチーフは、それぞれ明確に宗教的あるいは神話的な意味をもっています。なかにはなんらかの教訓や風刺を暗示的に表現した寓意画といわれる絵もあります。そういった作品は知識がないとそもそも理解ができませんし、本来の鑑賞の仕方とはいえないでしょう。

 とはいえそういった知識がないという方も難しく考える必要はありません。このあといくつかの作品を解説しますので、それを頭の片隅に置いておくだけで十分です。ほんの少し知識があるだけで、作品の見え方はまったく違ってきます。そしてそのうえで画家ルーベンスの技術や表現力を堪能しましょう。

特に印象に残った注目作品を紹介

《クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像》

ペーテル・パウル・ルーベンス《クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像》

ペーテル・パウル・ルーベンス《クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像》1615-16年 油彩/板で裏打ちしたカンヴァス 37.3×26.9cm ファドゥーツ/ウィーン、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション ©LIECHTENSTEIN. The Princely Collections, Vaduz-Vienna

 1623年に12歳で亡くなったルーベンスの長女が5歳のころの肖像画です。通常この時代の肖像画は斜めの構図で描かれることがほとんどですが、この絵は正面の構図で描かれています。また肖像画は描かれた人物の社会的ステータスを表すために、衣服や装飾品などをしっかり描き込むものですが、この絵では顔こそ非常に丁寧に描かれているものの服などそのほかの部分はかなり簡素化されています。それらのことから本作は、画家自身の楽しみとして描かれたものであることがわかります。ルーベンスの子供に対する愛情が表れた素敵な作品です。

《眠るふたりの子供》

ペーテル・パウル・ルーベンス《眠るふたりの子供》

ペーテル・パウル・ルーベンス《眠るふたりの子供》1612-13年頃 油彩/板 東京、国立西洋美術館

 若くして亡くなったルーベンスの兄、フィリプスの子供がモデルであると考えられる作品です。おそらく大型油彩画のための習作として描かれたもので、実際にこの作品はのちの作品に転用されています。

ペーテル・パウル・ルーベンス、ヤン・ブリューゲル1世《花環の聖母子》

ペーテル・パウル・ルーベンス、ヤン・ブリューゲル1世《花環の聖母子》1616-18年頃 ミュンヘン、アルテ・ピナコテーク ※本展には出品されていません。

 本展には出品されていませんが、こちらの作品に先ほどの子供ふたりが登場しています。見つけられるでしょうか。このようにルーベンスは習作として描いた絵を素材としてストックして、別の作品に転用するという手法を度々用いていました。ちなみにこの絵は「花のブリューゲル」として名声を博したヤン・ブリューゲル1世との共作です。言わずもがな花をブリューゲルが描いています。

《ラオコーン群像》の模写素描

ペーテル・パウル・ルーベンス《ラオコーン群像》の模写素描

ペーテル・パウル・ルーベンス《ラオコーン群像》の模写素描 1601-02年 黒チョーク、おそらく部分的に白チョーク、褐色の淡彩/紙 アンブロジアーナ図書館

 ミケランジェロに多大な影響を与えたことで知られる有名な彫刻作品を模写したスケッチです。このほかにも少なくとも15枚はスケッチを行なっており、この彫刻の姿勢や表情を自分の作品にしばしば引用しています。画面右上の部分に縦の線が入っていますが、これは右の人物を別の紙に描いたものを輪郭に沿って切り抜いて継ぎ接ぎしています。

 ルーベンスがこの像から学んだのは、人物の理想的な肉体とリアルな感情の表現です。ルーベンスはたくましい男性、生々しい女性の肉体を古代の彫刻から学びました。また、見るものに訴えかけてくるような登場人物の感情表現も、ラオコーンをはじめとした彫刻作品から学んだのです。

《老人の頭部》

ペーテル・パウル・ルーベンス《老人の頭部》

ペーテル・パウル・ルーベンス《老人の頭部》1609年頃 油彩/板 サンクトペテルブルク、エルミタージュ美術館

 この男性は特定の個人の肖像ではなく、《眠るふたりの子供》と同様に自分の絵のなかに描き込むことのできるいわば素材として描かれたものです。実際にこの人物の顔が登場するルーベンス作品が数多く存在します。ルーベンスが実に無駄のない賢い手法で作品を制作していたことがわかります。

《天使に治療される聖セバスティアヌス》

ペーテル・パウル・ルーベンス《天使に治療される聖セバスティアヌス》

ペーテル・パウル・ルーベンス《天使に治療される聖セバスティアヌス》1601-03 年頃 油彩/カンヴァス ローマ国立古典美術館、コルシーニ宮

 古代ローマの指揮官セバスティアヌスは、密かにキリスト教を信仰していたことをとがめられ、弓で撃たれて処刑されましたが生き延びます。しかしそののちに撲殺されてしまいます。通常は聖イレネらによって介抱されますが、この絵では天使たちが彼を介抱しています。これはアルプスより北の地域での伝統的な表現であり、ルーベンス以後はこうして天使が描き込まれた追随作が多く生まれました。

 地面に置かれた甲冑は、ヴェネツィア絵画らしく光の反射が巧みに表現されています。これには本作を描く前に20代だったルーベンスがイタリア・ヴェネツィアを訪れ、ティツィアーノやヴェロネーゼなどの作品を目にしたことが影響しています。またこのころ仕えたマントヴァ公の宮廷には、ルネサンスの巨匠たちの作品が数多くあり、ルーベンスはそれらの作品から芸術を学びました。

《キリスト哀悼》

ペーテル・パウル・ルーベンス《キリスト哀悼》1

ペーテル・パウル・ルーベンス《キリスト哀悼》1601-02年ローマ、ボルゲーゼ美術館

ペーテル・パウル・ルーベンス《キリスト哀悼》

ペーテル・パウル・ルーベンス《キリスト哀悼》1612 年頃 ファドゥーツ/ウィーン、リヒテンシュタイン侯爵家 コレクション

 どちらの作品も人々が十字架から降ろされたキリストの亡骸を囲んで悲しみにくれる場面を描いています。青い衣装を着ているのが聖母マリア、金髪の女性がマグダラのマリア、赤い衣装の男性が聖ヨハネです。

 1枚目が描かれたのが1601年~02年、2枚目はその約10年後に描かれたものです。同じテーマを描いていますが、その完成度は10年で圧倒的に高くなっています。2枚目を描いたころというのは、ルーベンスのもとに数多くの宗教画の注文が入った時代です。『フランダースの犬』で、ネロとパトラッシュが最後に見る絵として日本人にも有名な《キリスト降架》(1611−1614)もこの時期に描かれています。これは16世紀後半に、偶像崇拝を禁じたプロテスタントによる宗教美術の破壊を受け、17世紀初めのフランドル(今のベルギー)でカトリック教会による宗教美術復興運動が起きたことで、ルーベンスのもとに多くの宗教画の注文が舞い込んだのです。

《死と罪に勝利するキリスト》

ペーテル・パウル・ルーベンス《死と罪に勝利するキリスト》

ペーテル・パウル・ルーベンス《死と罪に勝利するキリスト》1615-22年 油彩/板 ファドゥーツ/ウィーン、リヒテンシュタイン侯爵家 コレクション

 墓碑として用いられていたと考えられる作品です。十字架上での死後、《キリスト哀悼》の場面を経て埋葬されたキリストが復活を遂げたシーンが描かれています。キリストが踏みつけている骸骨と蛇はそれぞれ死と罪への勝利を、手に持つ白地に赤十字の旗は復活を、天使が吹くトランペットは復活の合図を表しています。ちなみに本作は後世に広範な加筆が施されたことなどによって、本来の姿が失われてしまっています。

《聖アンデレの殉教》

ペーテル・パウル・ルーベンス《聖アンデレの殉教》

ペーテル・パウル・ルーベンス《聖アンデレの殉教》1638-39年 油彩/カンヴァス マドリード、カルロス・デ・アンベレス財団 Fundación Carlos de Amberes,Madrid

 3mを超える初来日の本作は、ルーベンスが描いた宗教画の大作としては一番最後の作品であり、62歳で亡くなる2年ほど前に描かれました。十二使徒のひとりである聖アンデレは、布教活動がローマ総督アイゲアテスの怒りを買い、磔にされてしまいます。2日間十字架に残されたアンデレは、彼を取り巻いていた2万人の人々に教えを説きました。怒った人々が総督を脅したため、画面右で馬に乗っている総督はアンデレを十字架から外すよう部下に命じますが、アンデレは生きたまま十字架から降りることを拒否し祈りを唱え続けます。そして天から光が差して、次の瞬間に生き絶えたとされています。右上の天使、彼らが持つ月桂樹の冠と棕櫚 (シュロ)の枝は殉教を表しています。

 本作において聖アンデレは老人とは思えないたくましい身体で描かれていますが、これはラオコーン像を参考にしたためだと考えられます。またこの絵の構図は、ルーベンスの師匠であったオットー・ファン・フェーンの同題作品から着想を得ています。

オットー・ファン・フェーン《聖アンデレの殉教》

オットー・ファン・フェーン《聖アンデレの殉教》アントウェルペン、シント・アンドリース聖堂 ※本展には出品されていません。 

 ふたつの作品はその構図こそほとんど同じですが、まったく異なった雰囲気を放っています。内省的で人物の感情があまり感じられない師匠の作品と比べ、ルーベンスの作品は人物の表情や身振りなどによって非常にドラマティックに内面性が表現されているのです。そして人々の視線の交錯や、腕の重なりなどがざわざわした不穏な雰囲気を演出しています。

《ヘスペリデスの園で龍と闘うヘラクレス》

ペーテル・パウル・ルーベンス とフランス・スネイデルス《ヘスペリデスの園で龍と闘うヘラクレス》

ペーテル・パウル・ルーベンス とフランス・スネイデルス《ヘスペリデスの園で龍と闘うヘラクレス》1635-40年 油彩/カンヴァス マドリード、プラド美術館

 晩年のルーベンスがスペイン国王フェリペ4世の注文で制作した、18点の連作のうちの1点である本作は、ギリシャ神話の英雄ヘラクレスの功業のひとつを描いた作品です。ヘスペリデスの園から黄金の林檎を持ち帰るため、園を守る龍ラドンと戦っているシーン。

 本作ではヘラクレスはルーベンスが、龍ラドンは動物の絵で名を成したフランス・スネイデルスが描いています。 ルーベンスは本作や上で紹介したブリューゲルとの共作のように、動物や風景、静物を専門とする画家たちに依頼して、自分の作品にそれらを描かせることもありました。当時はこのように画家同士が得意分野を生かすことで、より魅力的な作品が生まれると考えられていたのです。

《パエトンの墜落》

ペーテル・パウル・ルーベンス《パエトンの墜落》

ペーテル・パウル・ルーベンス《パエトンの墜落》1604-05年頃、おそらく1606-08年頃に再制作 油彩/カンヴァス 98.4×131.2cm ワシントン、ナショナル・ギャラリー National Gallery of Art, Washington, Patron's Permanent Fund, 1990.1.1

 

 少年パエトンは、太陽神である父アポロンの戦車で天を駆けようとしましたが、彼には馬を操る力はなく、戦車は暴走していまいます。見かねた最高神ユピテルは、雷でパエトンを撃ち殺しました。転覆した戦車から真っ逆さまに落ちていくパエトンと、彼に付き添っていた季節と時間の女神たち、そして逃げ惑う馬たちが素早く荒い筆致で描かれています。この物語は、高慢を戒める道徳的な意味や、支配者の能力の重要性を示す意味で語られてきました。しかし、ルーベンスによる本作はそれよりも絵画自体の力強さやダイナミックな表現の方に注力しています。

 本来であれば、この物語を描く場合にはパエトンと馬さえいれば成立しますが、ルーベンスはあえてそのほかの登場人物をたくさん描いています。こういったにぎやかな画面はルーベンス作品の特徴のひとつです。また人物や馬はあらゆる角度から描かれていますが、作品としては綺麗にまとめられている点もルーベンスの高い力量を証明しています。

《マルスとレア・シルウィア》

ペーテル・パウル・ルーベンス《マルスとレア・シルウィア》

ペーテル・パウル・ルーベンス《マルスとレア・シルウィア》1616-17年 油彩/カンヴァス ファドゥーツ/ウィーン、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション ©LIECHTENSTEIN. The Princely Collections, Vaduz-Vienna

ペーテル・パウル・ルーベンス《マルスとレア・シルウィア》(モデッロ)

ペーテル・パウル・ルーベンス《マルスとレア・シルウィア》1616-17年 油彩/カンヴァス ファドゥーツ/ウィーン、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション ©LIECHTENSTEIN. The Princely Collections, Vaduz-Vienna

 帝政ローマ時代最初期を代表する詩人オウィディウスによる『祭歴』の物語を描いた作品です。ウェスタ神殿の火を守る巫女レア・シルウィアと、キューピットの力で彼女に心奪われ、駆け寄る軍神マルス。このときの逢瀬によりレア・シルウィアは双子を懐妊しますが、彼女は巫女として純潔を守らなくてはならない立場であったため、双子は生まれて間もなく川に流されます。狼に育てられたこの双子は、のちにローマを建国する双子ロムルスとレムスであるとされています。通常この物語は寝ているレアが襲われる場面として描かれますが、ルーベンスはその暴力性を排除し、情愛の場面にアレンジして描いています。

 本作はタペストリーの下絵として描かれた作品で、タペストリーは織ると左右が反転することから、本来は左腰にあるはずのマルスの剣が反対に描かれています。本展では大きさの違うふたつの絵が展示されていますが、下の小さな作品の方はルーベンスが工房の弟子たちに用意した手本「モデッロ」です。こういったモデッロをもとに工房では人気作を縮尺を変えて何枚も制作しました。モデッロは手本なわけですから、当然ルーベンス本人がすべて描いています。工房作や一部のみルーベンスが手を入れたという作品が多く、その見極めが非常に難しいなか、確実に本人が描いたとわかるモデッロはとても貴重で価値のあるものです。ちなみにこの時代の美術品においては、最も位が高かったとされるのがタペストリーであり、ゆえにこれほど立派な下絵が描かれるのです。

《ヴィーナス、マルスとキューピッド》

ペーテル・パウル・ルーベンス《ヴィーナス、マルスとキューピッド》

ペーテル・パウル・ルーベンス《ヴィーナス、マルスとキューピッド》1630年代初めから半ば 油彩/カンヴァス ロンドン、ダリッチ絵画館

 息子キューピットに授乳するヴィーナスと、その恋人のマルスが描かれた作品。真珠の耳飾りがヴィーナスを、羽と床に置かれた弓矢がキューピットを、甲冑がマルスをそれぞれ象徴しています。人妻であるヴィーナスとマルスのあいだに生まれたのがキューピットです。 軍神であるマルスの武装は解かれ、盾も床に置かれています。さらに肩のあたりでプットーが甲冑の留め金を外そうとしている姿も描かれています。愛による戦争の抑止を表しており、マルスがヴィーナスのもとに留まり、平和が保たれているため、女神も安心して子供に恵みを与えられる状況が描かれているのです。

 外交官としても活躍していたルーベンスは、なかでもスペインとイギリスの和平交渉に尽力したことが知られています。本作はイギリスからの帰国後すぐに描いたものと考えられており、外交の贈り物として描かれた作品の可能性があります。各地で戦争が群発していた時代にあって、ルーベンスは平和への思いを作品を通して度々表現した画家でもありました。

《エリクトニオスを発見するケクロプスの娘たち》

ペーテル・パウル・ルーベンス《エリクトニオスを発見するケクロプスの娘たち》

ペーテル・パウル・ルーベンス《エリクトニオスを発見するケクロプスの娘たち》 1615-16年 油彩/カンヴァス 217.8×317.3cm ファドゥーツ/ウィーン、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション ©LIECHTENSTEIN. The Princely Collections, Vaduz-Vienna

 オウィディウスの『変身物語』の一幕を描いた作品です。ローマ神話に登場する火の神ウルカヌスが同じくローマ神話における知恵の女神ミネルウァを犯そうとするも失敗し、そこで地面にこぼれた精液で大地の女神ガイアが身ごもります。そして、アッティカの初代王ケクロプスの娘たちがミネルウァから託されたかごの中に、ガイアの子である足が蛇の尾になったエリクトニオスを発見するという話。右奥の石像がガイアで、五つの乳房は豊穣を司っていることを表現しています。

 注目すべき点は、3人の女性が異なる向きとポーズで描かれていることです。これは彼女たちは三姉妹であると同時に、1人の理想的な女性美をさまざまな角度から描いたものだともいえるのです。さらにこの女性たちは非常に古代彫刻的に描かれています。彫刻の場合は360度あらゆる角度から見ることができますが、絵画ではそれができません。しかしルーベンスはこの絵おいて、1人の女性を3人に分けることで古代彫刻に挑んでいるのです。

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